恐れ多いですが

 

人の生をこの世につなぎとめるものとはなんでしょう。


職業上人の死に出会う機会が少なくありません。多くの考える機会を与えていただきます。


冒頭のそれはここでは使命(お役目)という表現をさせていただきます。


その使命(お役目)は本人にとっては意識的な面もあるかもしれませんが無意識なことが多いかもしれません。



当事者の方々がこれをお読みになると不快に感じるかもしれませんがそのような意図は全くありませんので今回はご容赦ください。
説明がくどく感じるかもしれませんが、できるだけ誤解を生むことは避けたいので。


その使命(お役目)とは例えばこうです。寝たきりの方が存在することでその家庭や親族の方たちの使命(お役目)をつくったり、家族や親族の関係性を良くしたり悪くしたり(ここでの悪くは悪い意味ではなく表面的には悪化したように見えて実はそのことでより深いところの気づきが促されるという意味)など。これらは本人はもちろん周囲の方々もその使命(お役目)については無意識であることでしょう。洞察の深い方はその使命(お役目)に気づいているかもしれません。






その使命(お役目)は先述したように無意識であることが多いので、本人がどのタイミングでこの世を離れるかはわかりません。


そのタイミングは本人が達成したと感じた時なのか、絶望した時なのか、疲れ切った時なのか、あるいは周囲がそれらを得た時なのか。


そこはまさに神のみぞ知る。でしょう。


さらにその離れ方は安らかに逝く場合もあれば事故や事件の場合もあるかもしれません。


事故や事件の場合は何が使命(お役目)なものかと感じる方も少なくないかもしれませんがここでも再度ご容赦ください。


いずれにしてもやはり神の介入を感じざるを得ません。






先述したように人の死に出会う機会が少なくありません。その都度考えさせてもらうとこれまで述べてきたような使命(お役目)やその終え方が如何なる場合であっても神の導きみたいなものがどうしても感じられます。何かその導きみたいなものが見えるという表現をしてもいいかもしれません。


最近それを強く実感する機会があったので言葉にしておきたいと思い書かせていただきました。


いつも考えさせていただきありがとうございます。


失礼な表現があったかとおもいますが何卒ご容赦ください。






読んでいただきありがとうございました。

 

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