高野山 2

 

高野山への想いがまだまだ熱いので今回も高野山がらみでいきたいと思います。


その前にどれぐらい熱い想いかと言うと。


正月休みにまた行けないものかと調べてみると、飛行機はあるけど宿坊は正月はお休みでした。


はぁ~、と、残念に思うほど熱い想いです。







宿坊でお世話になると、お坊さんたちの生活が少しだけ垣間見えます。


そもそも修行のためにお寺で生活をしているはずですが、宿泊者のために炊事、洗濯、掃除、案内など、仕事が山のようにあります。


朝の勤行ではお経を見ながら唱えている様子もうかがえます。


お経を覚えたりもっと修行に集中したいと思うのかな、などと想像しながら見ていました。







そういえば尊敬するパラマハンサ・ヨガナンダも僧院での修行中は雑事が多すぎて瞑想する暇もないと嘆いていたこともあったそうです。


これだけ便利な現代で生活している自分はと言うと、やはりもっと瞑想や勉強の時間が欲しいと望んでしまいます。







そんな宿坊での様子を見ていると、こんな声が聞こえてきます。


全てが修行なんだ。と。


純粋な修行以外は修行ではない、のではなく、全てが修行なんだ。と。


瞑想の時間だけが修行ではなく、日常が全て修行。


瞑想で得られた平安や喜びを日常の中にも見つけられなければ意味がない。


瞑想の中だけの平安や喜びでは自己満足に過ぎない。


偏在する弘法大師空海のお導きでしょうか。







そういう意味では時間はあるんだなと。


だって全ては修行なんだから。







パラマハンサ・ヨガナンダもおっしゃっていました。


全てを神のために行いなさい。







偏在するパラマハンサ・ヨガナンダ、弘法大師空海。


出会えることができて幸いです。







読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

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